住まいずの家づくりコンセプト

時間がつながる

小さな芽は空に向かってぐんぐん伸びていく。
おじいさんと孫、ふたりの瞳に
同じ未来が映っている

時間がつながる

子孫のために木を植える

鹿児島県姶良市の山中に樹齢250年を超える杉の大木があります。今からおそらく6代前か7代前の、住まいずのご先祖様が植えた木です。天を衝き上げるように聳え立つ木を見る時、そこに流れた膨大な時間が胸に迫ってきます。

植えた人はもちろん、成長した木を見ることはできません。次の代の人も、ひょろっとした若木の姿しか目にしてはいないでしょう。それでも雑草などの下刈り、枝打ち、間伐などの手入れは、彼らによって欠かさず行われ、また次の代へと受け継がれてきました。

自分のためではなく、子孫のために木を植える。それは何も特別なことではなく、日本人の誰もが当たり前と思ってきた考え方でした。そしてそのことによって、自分が脈々と受け継がれていく流れの中にいることを、ごく自然に感じとってきたのです。

 

自分の山の木で建てる

いまも鹿児島市から霧島市にかけてお住まいの方の中には、「子どもや孫のために山を買い、木を植えた」という方がかなりいらっしゃいます。しかし残念なことに、「高くつくからこの木を使って家を建てることは無理」と諦めている方がほとんどです。

昭和39年に木材の輸入が自由化されて以来、日本は住宅建材を外材に頼るようになりました。昔の大工さんは木を買うために山を見ることから始めましたが、輸入木材を買うようになった住宅会社は、山に足を運ぶことはなくなりました。こうして山で働く人と、家を建てる人との絆は切れてしまったのです。さらにみんなが国産材を使わなくなったことで、林業自体が急速に衰えていきました。

現在ではせっかく立派に育った木を、伐り出したり、製材したりしたくても、相談できる住宅会社が見つからない、或いは、あったとしても高いコストがかかってしまうという状況が生まれています。

そこで住まいずが始めたのが、"自分の木を使って家を建てる"という取り組みです。

自分の山の木で建てる   自分の山の木で建てる   自分の山の木で建てる   自分の山の木で建てる

 

世代を超えて伝わるもの

住まいずは代々林業を生業とし、10代目の有村吉孝の時に住宅建築を始めました。もともと林業のノウハウをもっている吉孝は、子どもや孫のために木を植えた人の願いが、社会の状況が変わったからといって叶えられないのはあまりに切ないと、現地に赴き、使える木を選別し、伐採、運搬、製材、乾燥までを一手に引き受けるようになりました。吉孝のその活動は本人が思った以上に喜ばれ、何よりも植えた人(親世代)と建てる人(子世代)の絆を一層強いものにするという嬉しい結果を招いたのです。

もちろん山にはよく手入れされたものもあれば、そうでないものもあります。他人の山に出かけて木を選別し、伐採して運び出すという作業は、実際にはかなり手間のかかるものです。それでも住まいずがこの取り組みを続けてきたのは、「父母や祖父母の思いを、目に見える形で子や孫に伝えられる」こと、そして「地域の材木を使うことで森の新陳代謝が進み、山の健康が保たれる」というふたつの理由からです。住まいずは、世の中には効率よりももっと大切なものがあると信じています。

倒れた木の根元からひこばえが芽吹くように、時間は命によってつながっていきます。一生懸命に生きたこと、そしてその思いは、次に芽生えた命によって受け継がれます。住まいずはそんな"当たり前のこと"を、いつも忘れないでいたいと思います。

世代を超えて伝わるもの

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  • ただいま、住まいずで建築中の 霧島市隼人町 K様

ごつごつとした父の手

父が私のために木を植えてくれていたことは、以前から聞いて知っていました。

家を建てることになって、住まいずさんに山を見てもらったら「思った以上に木が多かったです」と言われ、その木の量の多さが父の思いの大きさなんだなと感じました。だからこの家は、父の思いがいっぱい詰まった家になっています。

男同士だから照れくさくてお礼を言えずにいたのですが、上棟式の時に住まいずさんがお膳立てしてくれて、父に感謝状を渡しました。有村会長に「握手して!」と言われ、何十年ぶりかで手をつなぎました。力仕事をしてきた父の手はごつごつしていて、あらためて「この手で大きくしてくれたんだなあ」と思いました。

父が植えてくれた木を、どうすれば無駄にせず、使い切ることができるかが目下のうれしい悩み。テーブルや椅子など、家具もたくさんつくろうと思います。

「自分の山の木で建てる」について、もっと知りたい方はこちら


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